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ニシン漁・数の子の歴史
北海道に於ける鰊漁は明らかではないが、文安4年(1447)に陸奥の国の馬之助という人が、 松前の白符村に来て漁をしたとあり、これが鰊漁の始まりであろうと伝えられている。しかし ながら、松前の鰊漁は安永・天明のころ(1772〜1788)から衰退し、漁場は西海岸を北上する こととなる。北海道での史上最大漁獲高を記録したのは明治30年(1897年)のことで、130万石、97万5千トンと言われており、留萌市では明治24年に59,332トンを記録している。
「ニシン」は鰊、鯡、春告魚などといろいろな漢字が用いられたが、これらはいずれもアテ字であって、中国にあるものとは同名異物とされる。 鯡は天文17年(1584年)に出された「運歩色葉集」に現れたのが最初で、もっとも古くから 使われている。当時食べていたのは数の子であって、「魚の子」を意味する鯡の文字を借りた という。
さらには、江戸の商人の間でニシンと米を交換し合ったところから、魚に非ずという意味で 鯡にしたとか、ニシンはせん民の食、猫の食、(本草網目啓豪−亨和3年、1806年刊行)とし ていることから米の代用に主食とされたことも考えられる。
「カズのコ」の呼称の由来は、鯡の卵数が5万から10万という多数であるから、「数の多 い子」の意味だとか、本来この魚の名が「カド」であって、「カドの子」がなまったと言った 説があるが、はっきりとは分からないのが実状である。
カズノコが食品として供されたのは、13代将軍足利義輝がすでに食していたことが史実と して記録にあるもっとも古いものと思われる。
昭和30年以降、ニシンは北海道の沿岸より姿を消し、ほとんど見かけることは出来なくなった。
■
名前の由来
◆鰊(ニシン)…鯡・春告魚・青魚・黄魚・高麗鰯・西の魚(ニシノウオ)
二身・群魚
◆数 の 子 …数の多い子・「カドの子」
■
数の子の歴史
◆十三代将軍 足利義輝
室町幕府の終わり頃から、裏日本の海上交通の発達、京都の宮中・幕府に献上
◆江戸時代
数の子は、「鮮魚より尊きもの」
〜全盛期〜
文安4年 東北地方(馬之助)が松前藩で鰊漁の始まり
↓
北前船による東北・北陸ラインの発達
(身欠きニシン・数の子が松前藩の大きな収入源となる)
↓
史上最高の漁獲高 明治30年
130万石=30億〜40億匹 「神の魚」
「蝦夷地江差の五月は江戸にもない賑わい」 浜の盛況
〜鰊漁の衰退〜転換期
昭和30年のピークに鰊漁衰退の一途
↓
数の子の生産量の激減
↓
「黄色いダイヤ」
井原水産 海外へ原料供給のチャンネル変更
■
ニシンは日本の海から、なぜ消えたのか…
(1)乱獲…獲りすぎてしまったという説
(2)太陽黒点の活動に影響されているという説
(3)海水温度の上昇がニシンを北へ追いやったという説
(4)最近の注目説…手当たり次第に行われた森林伐採
■
ニシンと森の関係
砂漠化する日本の海・・・磯焼け → 食物連鎖の乱れ
森が海に栄養を供給している
・・・チッソ・リン・鉄など
腐植土(微生物が、落ち葉や枯れ枝を分解)
チッソ・リンなど ・・・成長・増殖
鉄分・・・チッソの吸収促進
森…腐植土(天然の肥料)…
フルボ酸 + 土壌中の鉄分 → フルボ酸鉄
((鉄の入り込めない海草の細胞壁を簡単に通り抜け吸収される)
↓
森の土壌にしみこむ → 川 → 海
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